ブロードウェイミュージカル関連リンク集 〜ミュージカル界の巨匠たち〜
ミュージカル・演劇の巨匠たち(著名な作曲家・作詞家・振付師・プロデューサー)

「ホワイト・クリスマス」でおなじみのアメリカの流行歌の帝王。ブロードウェイの代表作には、『アニーよ銃をとれ』(1946年)と『コール・ミー・マダム』(1950年)。89年に101歳で死去。

クラシック・バレエの手法を大胆に取り入れ、ストーリー展開や性格描写を踊りで表現。『オクラホマ!』(43)でブロードウェイ・ミュージカルの流れを変えたと言われる振付師。代表作は、『回転木馬』(45)、『ブリガドーン』(47)など。

『ブリガドーン』(47)で脚光を浴び、『マイ・フェア・レディ』(56)で大成功を収める。繊細なメロディは他の追随を許さない。映画用に書き下ろした『恋の手ほどき』(58)や『キャメロット』(60)にも良いナンバーが多い。

「ひとりでビートルズ神話を破った」と言われる、世界でもっとも成功した作曲家の一人。『ジーザス・クライスト=スーパースター』(71)、『エビータ』(78)、『キャッツ』(81)、『オペラ座の怪人』(86)などの大作を連発した。

ブロードウェイでもっとも成功した作詞家の一人。初期は、作曲家ジェローム・カーンやシグマンド・ロンバーグとコンビを組み、『ショウ・ボート』(27)や『ニュー・ムーン』(28)などの名作を発表した。43年以降は、リチャード・ロジャースとのコンビで『オクラホマ!』を皮切りに傑作を次々と世に送り出した。

ダンサーとして活躍後、60年の『バイ・バイ・バーディー』振付・演出家としてデビューを果たす。以降、『ハロー・どーリー!』(64)や『結婚物語』(66)などを手がける。80年『フォーティセカンド・ストリーム』の初日、白血病のため死去。

「演劇界のビル・ゲイツ」の異名を持つ、イギリスの大プロデューサー。81年の『キャッツ』に始まり、『レ・ミゼラブル』(85)、『オペラ座の怪人』(86)、『ミス・サイゴン』(89)などの大作を手がけた。巨万の富を築き、世界的なプロデューサーとして君臨している。

大富豪の家に生まれ、若い頃から世界中を豪遊。その影響のためか、作る曲はスケールが大きく、歌詞は機知に富んでいる。代表作は、『エニシング・ゴーズ』(34)、『キス・ミー・ケイト』(48)など。

ルシル・ボール主演の『ワイルドキャット』(60)でブロードウェイにデビュー。以降、『スウィート・チャリティ』(66)、『シーソー』(73)、『シティ・オブ・エンジェルズ』(89)などを発表。

61年に『ミルクと蜂蜜で』でブロードウェイ・デビュー。『ハロー!ドーリー!』(64)と『メイム』(66)の2つの大ヒットにより、ソングライターとしての確固たる地位を確立。『メイム』以降、ヒットに恵まれなかったが、83年の『ラ・カージュ・オ・フォール』で華麗にカムバックを果たした。

人種問題を始めて取り上げた名作である『ショウ・ボート』(27)を手がけた作曲家。ヨーロッパのオペレッタ風優雅さと、アメリカのモダニズムを併せ持つ、甘美なメロディーは一世を風靡した。

アメリカン・バレエ・シアターでダンサーとして活躍後、振付に進出。『オン・ザ・タウン』(44)をきっかけに、『王様と私』(51)で才能を認められた。演出・振付を手がけた大傑作である『ウエストサイド物語』(57)で不動の地位を確立した。その他、『ジプシー』(59)、『屋根の上のバイオリン弾き』(64)など。

映画用に数多くのヒット曲を書き下ろした後、47年ブロードウェイに進出。『紳士は金髪がお好き』(49)、『ジプシー』(59)、『ファニー・ガール』(64)など代表作は多い。

戦前から活躍したブロードウェイを語る上で欠く事のできない伝説的な演出家。ジャンルを問わず、手がけた作品は非常に多い。ミュージカルの中では、『パル・ジョーイ』(40)、『オン・ザ・タウン』(44)、『くたばれヤンキース』(55)などが代表作。

クラシックとジャズの融合、黒人キャストのフォーク・オペラ『ボーギーとベス』(35)を発表するなど、斬新で独創的な作品が多い。アメリカ音楽界の大巨匠。日本でも、往年の名曲が盛り込まれた作品『クレイジー・フォー・ユー』(92)のヒットによりファンが多い。

ライザ・ミネリやシナトラの十八番「ニューヨーク・ニューヨーク」でおなじみのコンビ。ブロードウェイでは、『赤の脅威フローラ』(65)を皮切りに、『キャバレー』(66)、『シカゴ』(75)、『ミズ・ことし最高の女性』(81)、『蜘蛛女のキス』(93)など。

オフのヒット作『アンド・ザ・ワールド・ゴーズ・ラウンド』(91)で注目され、『クレイジー・フォー・ユー』(92)で飛躍した。小道具を駆使したアイディア豊富な振付が評判を呼び、初めて演出を手がけた『コンタクト』(99)、『ザ・ミュージックマン』(00)、『ザ・プロデューサーズ』(01)と絶好調。

作詞家として、『ウエストサイド物語』(57)と『ジプシー』(59)にかかわった後、62年『ローマで起こった奇妙な出来事』で作詞作曲家として一本立ち。絶賛を浴びた『カンパニー』(70)と『フォリーズ』(71)で評価を不動のものにした。

65年『ベイカー街』でダンサーとして、ブロードウェイ・デビューを果たす。『シーソー』(73)でトニー賞助演賞を受賞。『ナイン』(82)、『マイ・ワン・アンド・オンリー』(83)、『グランドホテル』(89)、『ウィル・ロジャーズ・フォリーズ』(91)とヒット作を連発した。

イギリス演劇界の重鎮。28歳でRSCの芸術監督に就任。『キャッツ』(81)、『レ・ミゼラブル』(85)などを手がける。97年から2002年までは、NTの芸術監督として『オクラホマ!』(98)や『マイ・フェア・レディ』(01)の再演を成功させた。

26歳のとき、『パジャマ・ゲーム』(54)の共同制作者として成功。『くたばれヤンキース』(55)や『ウエストサイド物語』(57)のヒットにも貢献。のちに演出家に転向。『カンパニー』(70)、『リトル・ナイト・ミュージック』(73)を発表。アンドリュー・ロイド・ウェバーの『エビータ』(78)、『オペラ座の怪人』(86)も彼の演出である。

映画のソングライターとして活躍後、48年の『チャーリーはどこだ?』でブロードウェイ進出。『ガイズ&ドールズ』(50)、『ザ・もスト・ハッピー・フェラ』(56)、『努力しないで出世する方法』(61)の三大傑作で一時代を築く。

二人はNYでナイトクラブ芸人としてスタートした。脚本・作詞は、44年の『オン・ザ・タウン』が出世作となる。そのほか、『雨に唄えば』(52)、『バンド・ワゴン』(53)の脚本も彼らの作。

ダンサー出身。振付では、『パジャマ・ゲーム』(54)、『くたばれヤンキース』(55)で独自のスタイルが人気を呼んだ。59年から演出もてがけ、『スウィート・チャリティ』(66)、『シカゴ』(75)などヒット作を連発。『キャバレー』(72)など映画監督としても成功を収めた。

59年に『ウエストサイド物語』のツアー晩でプロデビュー。15年に及ぶ記録的な大ヒットを遂げた『コーラスライン』(75)の振付・演出を担当し、その評価を不動のものとした。87年にエイズのため、44歳の若さで死去。

ロレンツ・ハートとオスカー・ハマースタイン2世という、二人の作詞家と組んで、数多くの名曲を送り出した。42年までは、ハートと組み、都会的な粋な音楽を作る。43年以降、ハマースタインと組んでからは、大衆性に根ざした曲を量産。ブロードウェイでの地位を不動のものとした。『オクラホマ!』(43)をはじめ、『王様と私』(51)、『サウンド・オブ・ミュージック』(59)などの名作を紡いだ。

作曲家、ピアニスト、指揮者として活躍。『ワンダフル・タウン』(53)、『キャンディード』(56)、『ウエストサイド物語』(57)など、多彩な才能を発揮した名作が多い。

戦前、戦中のブロードウェイを代表する振付師。主な作品は、『エニシング・ゴーズ』(34)、『パル・ジョーイ』(40)など。

作曲家リチャード・ロジャースとのコンビで、戦前のブロードウェイで数々の名作を世に送り出す。『シラキュースから来た男たち』(38)、『パル・ジョーイ』(40(など。